大矢商事 株式会社 大矢 裕啓 社長


ドライアイス等販売商社
「低温物流」全般をサポート

ドライアイスは低温を保ち運搬する際の必需品だ。
物流の機能向上、複雑化に伴ってその役割は大きく変化しつつある。
大矢商事株式会社はその変容をしっかりとらえ、「低温物流」システム全体を提供する。


profile

昭和35年(1960年)栃木県宇都宮市生まれ。
栃木県立宇都宮商業高校から横浜商科大学入学。
同大中退後、昭和60年に大矢商事有限会社に入社。
平成7年、同社代表取締役社長に就任。
平成20年に大矢商事株式会社に組織変更し、現在に至る。


アイスキャンデーの流行とともに
大矢 裕啓社長
大矢 裕啓 社長

 昭和30年代初め、大矢社長の祖父が小山市内で運送業とともに練炭製造を営む商店を開業した。当然ながら、練炭は冬は忙しいが夏は暇になる。オフの期間をどうするか思案していたところ、大手菓子メーカーが同市内の工業団地に進出し、アイスキャンデーの製造を始める。その工場へのドライアイス納入業者となったのが現在の基礎となった。昭和37年に有限会社を設立し、本格的にドライアイス販売会社としてスタートする。
 その後、宇都宮市内でアイスキャンデーを製造していたフタバ食品(当時は栃食)から、宇都宮でもドライアイスを扱ってほしいと要請される。このため、昭和39年、両親が宇都宮市天神町に移って営業を始めた。祖父は小山の店を守り、両親が宇都宮での店を取り仕切る家族中心の営業だった。
 当時、棒の周りに味の付いた氷を固めたアイスキャンデーは、庶民の夏のおやつの定番だった。フタバ食品では24時間体制での生産が続き、それに伴ってドライアイスが大量に必要になった。昼夜を分かたずに注文が入り、父と母、数人の従業員が働く家業は多忙を極めていた。
 その姿を見ていて、幼いころから自分もいずれこの店を継ぐことになるのだろうと漠然とは思っていたという大矢社長。「ドライアイスを配達するライトバンに乗せてもらい酸欠状態に陥ったなどという思い出もあります」と、家族ぐるみで一生懸命に働いた当時を懐かしむ。
 昭和40年ごろになると、電気冷凍庫が出現して「ドライアイスはもう必要ない」と言われた。経営が危機に陥るかにみえたが、このころから物流が急速に進み、冷凍品の輸送のために大量の需要が発生した。また、その後、電気式の冷凍庫を装備したトラックが出てくると、物流の世界での需要は少なくなったがテイクアウト用のアイスクリームが人気を呼ぶようになり、ここでも新たな必要性が高まった。
 昭和53年から54年ごろからは、全国的に宅配業者が急速に伸び、宅配便・ギフト類の取扱いが増えていく。「当時は高校生で、家に帰ると手伝わされましたね。もはやドライアイスは人々の生活から切り離せないものになっていました」と大矢社長は振り返る。このように業界では、あるものが廃れると他の需要が生まれるというような状況が繰り返された。


社内体制の近代化でステップアップ

 大矢社長は大学を中退して実家に戻ってきた。このまま漫然と大学に通っていていいのかという疑問がわき、むしろ実際の業務を学んだほうが早いと思ったためだった。こうして昭和60年、22歳の時に入社する。スタッフは両親と2人の従業員。目の前の仕事をこなすことで手いっぱいの状況だった。
 いずれ限界がくることは目に見えていたため、大矢社長が主として外回り営業を担当することにした。「アイスクリーム」の表記がある電話帳をコピーしてアポなしの飛び込み営業から始めた。葬儀社なども訪ね歩いた。結婚して家庭を構え、また事業も少しずつ大きくなって、従業員に対する責任もあり「やらなければならない」という必死な気持ちだったという。
 そのころ、強烈に印象に残っている出来事がある。かつてお得意先で取引を断られた会社があった。なぜ取引が中止になったのかよく分からない。何度通っても「いらない」の一点張りだ。100回通ってだめだったら諦めようと決め、ちょうど88回目の時だった。あまりにも気の毒に思ったらしい事務員さん(実は社長の奥さんだった)が、「私が口添えしてあげる」ということで、ようやく社長に面談することができた。
 その時に初めて取引をやめた理由を教えてくれた。依頼したことが直ちにできない対応のまずさ、社内の風通しの悪さなどなど。商売の何たるかをこんこんと諭された。その上でもう一度だけチャンスをやろうということで取引を復活してもらうことができた。社内改革の必要性を痛感するとともに、諦めなければ通じるということも学んだ。20歳代半ばのころだ。
 この出来事を契機に、会社組織の近代化に着手し〝なあなあ〟の経営体質からの脱却をめざす。会計士から経営の状態が良くないとの指摘を受け、財務体質の改善や経営計画書の策定などに必死に取り組んだ。これが新たな飛躍へのステップとなった。平成7年、34歳で大矢商事有限会社代表取締役に就任する。


新しい用途の開拓目指し、さまざまな取り組み
「低温物流のお手伝い商社」として、安定した低温輸送をご提案
「低温物流のお手伝い商社」として、安定した低温輸送
をご提案

 扱っている商品はドライアイスが8割を占める。夏場の食品保存に需要が集まりやすいのは当然だが、最近は新しい用途へ広がっている。工業製品の生産工程でペレット状のドライアイスを噴射して洗浄を行う「ドライアイスブラスト」はその代表的なものだ。
 また、精密機器などには低温で輸送しなければならない製品も増えてきた。こうした要請に応えるため、発泡スチロールの容器類も扱うようになった。さまざまなタイプの箱を用意し、そこに入れる商品に応じてドライアイスの量を算定。容器類も含めて納品する。ドライアイスだけでなくシステム全体を提供するのだ。こうした資材関係が2割ほどを占める。
 同社はキャッチフレーズに「低温物流の商社」をうたう。商品の中には単に冷やすだけでなく適切な温度管理が必要なものがある。お客様からどういった温度帯が必要なのかを十分に聞き取り、蓄積してきたデータをもとにドライアイス・蓄冷材などを組み合わせて、最適な輸送の方法を提案する。複雑な温度管理が必要な製品は年々増えており『提案型』の商社の役割が重要になっている。
 今後は一般消費者向けに、さらにドライアイスを普及させる道を探りたいという。販売店と協力しながら小ロットで販売ができないか模索中だ。「スーパーやコンビニなどで氷と同じ感覚で買えるようになればといいと思いますね」。また、ゴルフ場のグリーンの芝の暑さ対策にドライアイスが応用できないか宇都宮大学と産学連携での研究にも取り組む。
 「今後は待ちの姿勢ではだめ。需要をつくり出す方法を考えたい。これまでにない使い道を探し出して、潜在需要を掘り起していきたいと思います」。少量でも配達するようなきめの細かいサービスも必要、と強調する。
 従業員には常日ごろ「今日もありがたくよい仕事をしよう」と訴えている。働く人たちに安心・安定した生活を保証する会社経営を行い、責任を果たしていくことに心を砕く。


大矢商事株式会社
〒321-0111 栃木県宇都宮市川田町44-1
TEL 028-657-7155 FAX 028-657-7156
URL http://www.008-biz.com

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