株式会社 スズテック 鈴木 康夫 社長

農業用機器等の開発製造業
農業の現場に即応する製品

農業とともに歩み、発展してきた株式会社スズテック。
農業の現場に即応する機械を送り出し続ける。戦後間もなく創業者が思い描いた「鍛治の技術を生かし、社会に役立ちたい」
との思いは、今に引き継がれている。

profile

昭和38年(1963年)栃木県宇都宮市生まれ。
宇都宮東高校から千葉工業大学卒業。オリエンタルモーター株式会社勤務を経て、平成元年、株式会社スズテック入社。
同8年に取締役、同10年に常務取締役、同14年に代表取締役社長、同25年に監査役に就任。

農業機械化の流れとともに発展
鈴木 康夫 社長

鈴木 康夫 社長

 株式会社スズテックの前身「鈴木農具鍛工所」は、昭和21年、空襲のつめ跡も癒えない宇都宮市で誕生した。創業者の鈴木末次氏は、戦時中、鍛造技術者として調布にあった中島飛行機に勤めていた。出身地の大田原に戻るという道もあったが、焼け野原となっていた宇都宮の惨状を見るにつけ、農具をつくって食料増産に貢献しようと、同市での創業を決意したのだった。
 「鍛治の腕を生かして、世の中の役に立ちたいと考えたのではないでしょうか」と、鈴木監査役は祖父に当たる末次氏の思いを推し量る。鋤や鍬、牛や馬の飼料用のわらを裁断する「飼い葉切り機」のほか、農業用の刃物などを製造、販売した。
 やがて、農作業の世界にも機械化の波が押し寄せる。耕運機が普及し始め、その車輪をつくる業務が主流になった。二代目の鈴木貞夫氏の陣頭指揮のもと、社内体制の近代化に取り組み、社名も「鈴木鍛工」に変更した。昭和40年、当時は何もなかった雑木林に造成された平出工業団地に本拠を移し、本格的な農業機械の製造に取り組んでいく。
 さらに、同社の業績を大きく伸長させるきっかけになったのは、「播種機」、すなわち種をまく機械だ。動力式の田植え機に搭載する苗。この苗づくりの為の種を播く装置で、全国への田植え機普及とともに爆発的な売れ行きをみせた。当時からすれば、性能は格段に進歩したが、この播種機は今でも同社の有力商品の一つである。である。
 創業40周年を期して、社名を株式会社スズテックに改め、一層の飛躍を図ることになったが、農業用の機械器具の開発製造という主力業務は、一貫して変わることはない。少し幅が広がり、フロア掃除機など環境関連機器なども手がけるようになったものの、今も売り上げの8割は農業用機器が占めている。

人材の育成には惜しみなく投資する

 鈴木監査役は宇都宮東高校を卒業後、千葉工業大学に進んだ。将来、入社することを見込んで、ものづくりと経営の両方が学べる「工業経営」の学科がある同大学を選んだ。卒業後、精密小型モーターを作っているオリエンタルモーター株式会社に入社する。
 自社に入社する前の「いわば丁稚奉公」と笑うが、同社で実に密度の濃い3年間を過ごした。「工場管理をやらされたのですが、組織が縦割になっていて、自分のグループの商品について、工場の操業の状態からラインの改善活動、資材購入まで、すべてを見渡す訓練を受けました」。その後、平成元年3月にスズテックに入社し、2年ほどをかけて、プレス、機械加工、溶接、塗装など、工場の各工程のほか、工場の生産管理、資材購買までを渡り歩くことになった。この時、前社での経験が大いに生きることになった。
 鉄の加工のほとんどすべての工程を持っているのは、平出工業団地に移ってきた当初、周囲に何もなく、自社でまかなうしかなかったためだ。現在は約20社の協力工場のネットワーク「協同組合」ができており、この体制が同社のものづくりの特徴の一つにもなっている。
 さらに、同社の技術力を支えたのが工場で働く農家の人たち。かつては、農閑期は工場で働き、農繁期になると農業に戻る、という労働者が多かった。つくり手でもあり、使い手でもあるという立場から、さまざまな改善の提案が行われ、技術力を引き上げていたのだ。その伝統は今も生きてはいるものの、時代の流れには逆らえず、他のものづくりの現場同様、同社でも技術の伝承は課題になっている。
 「7年ほど前から社内で研修会を積み重ねています。個人的なスキルアップに加えて、8割くらいはマニュアル化することができるのではないかと考えて、取り組みを進めています」と鈴木監査役。さらに、この作業の中で気づいたのが、社員間のコミュニケーション不足だった。
 そこで、5人以上集まって何かをやる場合、会社が助成する制度をつくった。「居酒屋に行く、ボウリングをする、バーベキューを楽しむ。部署も年齢も男女も関係ありません。とにかくコミュニケーションを図る場には助成金を出しています」。加えて資格取得のための通信教育や講習会の参加費用などを会社が全額負担する制度もある。人づくりには投資を惜しまない。p>

農家が喜ぶものをいかにつくるか
ニラ調製機NT60K

ニラ調製機NT60K

 「いかに農家さんが喜んでくれるものをつくるか。この方向性は今後も変わることはないと思います」と鈴木監査役は断言する。
 十数年前、県内のニラ生産農家から、出荷作業を省力化する調製機ができないかとの声が挙がった。生産農家、宇都宮大学、県の農業試験場、JAなどと協議し、自社や協同組合のノウハウも持ち寄り、平成11年に商品化した。ニラをバケットに載せるだけで、結束、根元切断、収納ができる優れものだ。現在、県内で330台が使われている。まだ産学官連携が今ほど盛んではなかったころで、先駆けともいうべき事例となった。さらに、こうしたことが契機になって、各学校からのインターンシップの受け入れなどにも力を入れるようになった。
 農業機械の業界は、トラクター、コンバイン、田植え機というように、これまで米作を軸に推移してきたと分析する。同社の播種機も同様だ。しかし、否応なしに米飯離れが進む日本国内では限界が見えている。今後、中国、インドなど、世界の大米作地帯への進出が課題になってくる。
 「6、7年前から取り組んではいるのですが、難しい問題も多く、一進一退というところでしょうか。しかし、いずれ挑戦しなければならない市場だと思っています」。慎重な中にも今後のグローバルな視点をしっかりと据える。既に中国国籍の社員2人を雇用し、本格的な海外展開に備えている。
 企業の社会貢献については、会社を継続して維持、成長させ、社員の生活を保障することこそ最大の貢献、と捉えている。数年前に打ち出した方針も『社員の満足度を高めることで、お客様への信用、信頼をアップする』ということだった。「社員が満足して働けば、開発も製造も販売もうまくいくということです」。
 こうした中、「宇都宮花火大会」や「ふるさと宮まつり」への協賛、スポーツ4団体への応援などに力を入れてきた。「私も宇都宮生まれなので、地域の活性化になることには、今後も支援を心がけたいと思っています」と鈴木監査役は地元への愛着を語った。

株式会社スズテック

〒321-0905 栃木県宇都宮市平出工業団地44-3
TEL 028-664-1111
URL http://www.suzutec.co.jp

このページの先頭へ

栃木の活性化の起爆剤に。